ボランティア活動の経験もあり、選手たちの心に変化が生まれた。「生徒たちは苦しいことにへこたれなかった」と厳しい練習に耐え、愚直に勝利を追い求めた。その結果、2012年秋の関東大会で史上初の3連覇を達成。「東の横綱」と注目されて臨んだ13年春の選抜大会で新たな歴史を築く。
選抜では、全5試合で59安打47得点。4試合連続2桁安打、うち3度は2桁得点。投げては2年生エースの小島和哉(現ロッテ)が計42回を3失点と、投打で圧倒的な力を見せた。
優勝の鍵
全国制覇の鍵を握ったのは、初戦(2回戦)の土佐(高知)戦だったという。結果は4-0で勝利したが、チームは初戦の緊張からか、思うようなプレーができず、反省点が多かった。安打数は土佐と同じ6本。12四死球をもらいながらも、3度のバント失敗に併殺も二つ。13残塁と不安を残した。
ただ、森の心の中は少し違った。スタンドは21世紀枠で20年ぶりに出場した土佐ファンで埋まり、甲子園は完全アウェーの雰囲気と化した。その中で戦い抜いたことに「これはいけるかもしれない」と優勝を予感。土佐戦の翌朝、恒例の早朝散歩で選手たちに森は「おまえたち優勝できるぞ」と言った。それは的中することになる。
破竹の勢い
初戦を突破すると、チームは水を得た魚のように目覚ましい快進撃を見せた。3回戦の山形中央戦で長短14安打11得点と打線が爆発し、11-1の快勝。2年連続8強入りを果たすと、準々決勝の北照(北海道)戦では、先発小島が七回まで1安打無失点に抑えると、七回に一挙6得点を奪い10-0の圧勝。監督就任1年目以来、21年ぶりの4強入りを決めた。
準決勝の敦賀気比(福井)戦では、4番の高田涼太(現JFE西日本)が1大会3本塁打と3試合連続本塁打を記録し、5-1で下した。勢いは止まらず、決勝では安楽(現楽天)擁する済美(愛媛)に17-1の大差で勝利し、県勢45年ぶりの紫紺の大優勝旗を手にした。
監督就任22年目で初めて上り詰めた全国の頂点に森は、「人生で初めて野球が楽しいと思った」と感極まった。そして、「次は夏で全国制覇だ」と自らを奮い立たせた反面、「俺だけで終わらせないため、後継者を考えないといけない」と頭の片隅で考え始めていた。
高ぶる心
同年夏、4季連続で甲子園に出場した。春夏連覇は果たせなかったものの、選抜優勝の影響は大きく、その後全国各地から選手が集まり始めた。その中、13年7月に三浦貴、16年1月には長男の大をコーチで招いた。指導者育成を目的に、コーチ陣に練習を委ねる時間が増えた。今までと一味違ったチームづくりへの挑戦という思いの下で。
だが、監督歴20年を超えた経験値と選抜優勝の自信からか、慢心状態だった。選手に指導しても、「俺の言うことを聞けば勝てるのに」「何で言っている意味が分からないの」と感じていた。
(埼玉新聞)
浦和学院・森士物語(6)大学院で己を磨く 感性重視の指導を卒業