【写真】準決勝進出を決め、掲揚される校旗を見上げる浦和学院の森大監督(左)と田中宏部長=阪神甲子園球場で2022年3月28日
第94回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)で4強入りを果たした浦和学院。2021年秋から指揮を執る森大(だい)監督(31)の甲子園初采配に、選手たちは1試合ごとに自信をつけて結果を出した。担当記者として強く心に残った「新生」と「超攻撃型野球」を振り返りたい。
「新生」を印象づけた浦和学院の快進撃。その裏にあったのは、森監督と「同級生コンビ」を組む田中宏(こう)部長(31)の奔走だった。
田中部長は兵庫県伊丹市出身。祖父も父も元プロ野球選手という野球一家に生まれ、幼少期から憧れた早大で野球をするため、付属校の早稲田実(東京)に進んだ。早大野球部で森監督とチームメートになり、投手として共に練習。大学卒業の13年春、社会人野球に進んだ森監督に対し、田中部長は現役を引退して大手銀行に就職した。大阪で勤務しながら、休日に父が監督を務める伊丹市の中学硬式野球チームで子どもたちを教えた。一度離れた野球への思いが徐々に強くなり、指導者への転身を考え始めた頃、森監督と再会した。
「実は親父が監督を辞めるんだ」。浦和学院が甲子園に出場して伊丹市内に宿泊した18年夏。コーチとして帯同した森監督に「一緒に全国制覇しよう」と誘われた。数年後の監督就任を見据えた相棒役の打診だった。
二つ返事で快諾した田中部長は銀行を退職。19年9月から浦和学院の野球部コーチとなり、21年秋には森監督、田中部長のコンビで新チームが始動した。
就任初年度4強
就任初年度のセンバツ4強。「できすぎです」と笑う田中部長は「全てが初めてで何が正しいかも分からない状況。その中で、自分たちが良いと思ったことをやってきた」と喜ぶ。森監督は「大学時代を共に過ごした仲間と同じ仕事をして成績を残せた。こんなに楽しいことはない」と信頼感をのぞかせた。
森監督と田中部長が中心となってチーム結成時から掲げる「超攻撃型野球」は、4試合で本塁打4本として結実した。大舞台で実力を発揮できたのはなぜか。森監督は「冬の間、ビジョンを持たせて取り組んできた生徒たちに、これまでの成果を発揮したいという思いがあった。その成果を実感する場面があったからでは」と分析する。
選手たちにとっては21年夏から夏春連続の甲子園。初戦敗退の悔しさをグラウンドやベンチで味わった選手が多い。森監督は「昨夏の経験者が落ち着いてプレーして初勝利を挙げたことが弾みとなり、試合の度に成功体験を重ねたことが選手の自信につながった」という。
一方、甲子園ならではの厳しさを感じる場面もあった。9年ぶりの決勝進出が懸かった近江(滋賀)との準決勝。浦和学院が先行する展開だったが、滋賀県勢としてセンバツ初の決勝進出を目指す近江のエースの力投に、球場全体が次第に傾いた。「声が通らない。雰囲気に飲まれるようだった」(森監督)。今センバツでチーム初の延長戦突入時、選手たちを鼓舞した。「楽しめよ。ここが人間として成長させてくれる場所だよ」
試合はサヨナラ3点本塁打を浴びて幕を閉じたが、森監督の言葉通り、選手たちは確かな成長をつかんだようだった。八谷晟歩主将(3年)は「観客の拍手や一気に盛り上がるのを感じて、守っている自分も鳥肌が立った。これが甲子園なのかと思った」と振り返る。「負けてしまったが新生浦学にふさわしいプレーはできた。課題も見つかったので、夏につなげられれば」。森監督も「最後は気持ち、気迫だと感じた。それを感じさせてくれた甲子園は素晴らしい場所だと思った」。
大舞台で自信と実績を手にした選手たちは、既に次を見据えて動き出している。指揮官は夏に向けたテーマに「信念」を掲げた。「新生浦学としてやってきたことをぶれずにやれるか。ベースはできた。あとは年数を重ねて幹にしていくだけ」。浦学新時代は始まったばかりだ。
浦和学院の2022年センバツ戦績
- 1回戦 ○4-0大分舞鶴(大分)
- 2回戦 ○7-0和歌山東(和歌山)
- 準々決勝 ○6-3九州国際大付(福岡)
- 準決勝 ●2-5近江(滋賀)延長11回
(毎日新聞埼玉版)