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セカンドキャリアの「球人力」久保田智(週刊ベースボール2010年3月8日号)

 週刊ベースボール3月8日号(ベースボール・マガジン社)に浦学野球部OBで元プロ野球選手の久保田智さんが掲載されています。

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◇セカンドキャリアの「球人力」第二の人生で生かされるプロ野球魂

 アマチュア屈指のスラッガーとしてヤクルトに入団した久保田智氏の現役生活は、4年間で幕を閉じた。だが、電通マンとして第二の人生を送る現在も“戦い” は続いている。「外に飛び出して良かったとは、まだ言えない」――。サラリーマンとして奮闘する元プロ野球選手の、リアルな心境とは。

 久保田智のサラリーマン生活は、この春で4年目を迎える。

 契約社員として株式会社電通に入社したのは2007年3月。1年間はサプリメント食品のPRを担当し、現在所属する営業局で企業のブランドサイト開設・運営のほか、各種プロモーションを受け持つようになってからは2年になる。

 いわゆる営業マン。営業の仕事を、久保田は野球にたとえて「キャッチャーみたいなものです。敵や味方の動き、ゲームの流れ、そういうものを俯瞰(ふかん)して見なければいけませんから」と語るが、その内実はといえば、息をつく暇もない日々。

 「びっくりするぐらい忙しいです。1年目は先輩にくっついて勉強していて、わけも分からず忙しかったんですけど、今は責任も出てきて気苦労もありますし、毎日、気がつくと夜の12時。次の日の朝、出社してメールを開くと受信が100件ぐらい入っていたり・・・(苦笑)」

 多忙な業務の合間を縫っての取材。「笑顔で話せる時期で良かったです。つい先日まではずっと走り続けている状態でしたから。まあ、またすぐに走り始めないといけないんですけど」と言って笑う顔に、元プロ野球選手としての面影はわずかしか残されていない。

 浦和学院高から東洋大、川崎製鉄千葉を経て2003年、アマチュア屈指のスラッガーとしてヤクルトに入団。1年目のオープン戦、初打席で横浜・福盛和男(現楽天)の初球を本塁打。久保田にとってこの打席がプロ4年間で最も印象に残っているシーンである。

 「ケガもしてなくて、前しか見てなくて・・・良かったなあ、あのときは(笑)」と振り返る初打席は、万全のコンディションで立った数少ない打席の一つなのだ。

 その年、久保田は開幕を待たずに右肩を負傷した。

 「外野から返球したときに『プチッ』という聞き慣れない音がして・・・。それが僕の野球人生で一番の大事件です」

 診断結果は上腕二頭筋長頭腱断裂。とてもボールが投げられる状態ではなかったが、その年はケガをごまかしながらファームで68試合に出場。シーズンオフの10月に手術を受けたが、以降、右肩が本来の状態に戻ることはなかった。

 その後、投げられないなら、と打撃に磨きをかけ、4年間、ファームで286試合に出場し、658打数180安打、19本塁打、打率.274という成績を残したが、一軍昇格のチャンスはついに訪れず。

 「投げられないというのは使い勝手も悪いですし、打つだけの選手なら外国人もいますから。そういう部分を踏まえた上で一軍に引っ張ってもらえるほどは、打ってなかったと思います」

 06年オフ、久保田は戦力外通告を受け、2度のトライアウトでも声は掛からなかった。引退を決意したとき、ヤクルトから就職の誘いがあったが「社会のことを知らなかったし、ちょっと飛び出してみようかな」と自身で第二の人生を模索することにした。

 「何カ月か、次をどうしようかと考えました。世の中にはどんな仕事があるんだろう、と。新聞を読むにしても、それまではスポーツ欄しか見なかったのを、いろんな記事を読んでみたり」

 就職先として挙がったいくつかの候補のなかで、目に留まったのが電通。

 「小学校1年生から野球を始めて06年に引退するまで、ずっと野球のことしか考えていませんでした。なので、知らないことがたくさんある、いろんなことを 知りたい、という気持ちが強かったんです。電通というのはいろんなことをやっている会社。こんなところで仕事ができるなら、やってみたいと思いました」

 知らない世界に飛び込んでいく恐怖心も、そのときはなかったという。

 「知らな過ぎて、なかったんですよ。だから、入社後は戸惑いの連続でした。いきなりデスクとパソコンを与えられて『どうすりゃいいんだ?』って(苦笑)。 資料の作成、メールの一斉送信、パワーポイント、エクセル、なんだかんだ・・・ぜんぶ、現役中にはしたことがありませんでしたから」

 会議の席では聞き慣れない業界用語も飛び交い、冷や汗をかいた。それでも、戸惑いが生じるたびに人に聞き、先輩を見て盗み、ときには自分で調べて一つひとつの問題を解消した。

 そんな作業を繰り返してきた3年間。グラウンドとはガラリと変わった職場の空気に「まだそんなに慣れてないです」と苦笑するが、自身のなかで変化も感じている。

 「悪く言うとちょっと臆病になったかもしれないですね。良く言えば慎重になりました。野球では、もちろんチームが勝つためにやっていましたけど、打てない なら自分の責任ですし、自分のなかで完結することばかりでした。今僕が置かれているのは、クライアントさんがいて、電通のなかのたくさんのチーム(部署) と一緒にその商品を売っていく立場。なので、周りを見ながら慎重にやっていかないと。自分だけのことを考えていたら人はついてきてくれませんし、いいもの もできませんから」

 周囲と連動し、自分以外の多くのものに影響を及ぼすサラリーマンという仕事。そのプレッシャーは、プロ野球選手として感じていたものより厳しいものだという。

 「サラリーマンって本当につらいです。忙しくて時間に追われているときなんかは、負けそうになります。だから『野球をやめてからも目標に向かって前向きに 生きてるぜ!』って言ったら嘘になりますね。いまだに『得意分野の野球にしがみついていれば、もっと楽だったのかな・・・』とか『でも、それじゃあ歩いて るのか立ち止まってるのか分からないしな・・・』とか、いろいろ考えます。だから、外に飛び出して良かった、とは言えないです。まだ戦ってるんです。みん な戦ってるんだと思いますけどね、サラリーマンは」

 そう赤裸々な心境を吐露すると、久保田は再び、いつ終わるとも知れない仕事に取り掛かるため“戦場”へと帰っていった。(文中敬称略)

◇久保田智プロフィール

 1977年5月16日生まれ。埼玉県出身。浦和学院高から東洋大、川崎製鉄千葉を経て03年ドラフト10巡目でヤクルト入団。左のスラッガーとして将来を 嘱望されたが、1年目の右肩負傷が響き、4年間一軍出場なし。06年オフに戦力外通告を受け、07年3月より株式会社電通に勤務。ファームでの通算成績は 286試合出場、658打通180安打、19本塁打、90打点、20盗塁、打率.274。

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