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<浦学新時代>’22センバツ「甲子園やりたかった」コロナで中止経験 当時主将・金丸さん

【写真】2021年9月、練習試合の打席に立つ金丸さん

「思い切りプレーを」後輩にエール

 第94回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)で初戦を突破した浦和学院。「野球が当たり前にできるのは素晴らしいこと。大舞台で思い切りプレーしてほしい」。和歌山東(和歌山)との2回戦=大会第6日第2試合(24日午前11時半開始予定)=に、「甲子園のなかった世代」の主将だった金丸斗南(となみ)さん(19)=日本大1年=はエールを送る。

 金丸さんは札幌市出身。母子家庭の一人っ子だった。中学からシニアリーグで活躍し、「地元の北海道から出て、関東の強豪校で勝負したい」と浦和学院を選んだ。2018年夏の甲子園の全国8強をベンチ外だった1年で体験、2年でベンチ入りした19年夏は埼玉大会で4回戦敗退。その直後のチーム結成時、森士前監督に「お前が引っ張っていけ」と主将を任された。

 19年秋は関東大会進出まであと1勝の県大会準決勝で敗退。「同じ方向を向かないと勝てない」と考え、部員一人一人の性格に合わせて対応を変え、積極的にコミュニケーションを取った。当時コーチだった森大監督は「どちらかというと無口で、優しい性格。厳しく言うより、自分が取り組む姿で周囲を引っ張ろうと頑張っていた」と思いやる。

 冬の厳しい練習をこなし、改めて甲子園に照準を合わせた20年春、新型コロナウイルスの感染が拡大した。春の県大会は中止。3月には政府の要請で小中高校が臨時休校した。野球部員が暮らす寮も閉鎖され、金丸さんは札幌に帰省。それでも甲子園への気持ちを切らさないようSNSで近況を伝え合い、リモートで練習を続けていた5月20日、大会中止が発表された。

2020年5月20日、金丸さんからのLINEメッセージを引用した森大監督(当時はコーチ)のツイート

 「森コーチ甲子園やりたかったです」。夕方のニュースで知った金丸さんが送ったLINEだ。

 緊急事態宣言は同25日に解除され、野球部員も1カ月半ぶりに寮に戻ったが「大きな目標を失い放心状態で、掛ける言葉がなかった」(森監督)。

 現在は日大野球部でプレーする金丸さんは「まだ大変な状況は続いているが、いろいろな人に支えてもらった。甲子園はなかったが当時の経験は今につながっている」と話す。「最後に(代替開催される県の)独自大会で優勝を目指そう」と、主将としてチームを鼓舞。7イニング制で実施された独自大会では、準決勝の最終回で0-2から同点に追いつき延長に持ち込んだ。延長九回タイブレークの末に敗れたが「このままじゃ終われない、と全員が同じ気持ちだった。同点にしたプレーは今までやってきたことが全て出ていた」(金丸さん)。「チームとして成長した姿に涙が出た。試合中に涙を流したのはあの時が初めて」という森監督は、卒業を控えた金丸さんたちに「監督になったらお前たちの分まで絶対に甲子園に行く」と誓った。

 その約束を果たしたセンバツ。金丸さんはプロ選手という自身の夢を追う。試合は千葉県習志野市の日大野球部学生寮でチームメートとテレビ観戦する予定だ。後輩たちに「上の代の思いも背負って、というのはあまり気にしないで。それ以上に伸び伸びと頑張ってほしい」と思いを語った。

(毎日新聞埼玉版)

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