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浦和学院野球部出身、23歳で司法試験合格 二木一平弁護士が球児にエール「全力で頑張れば、人生で必ず生きる」

【写真】浦和学院野球部出身で、23歳で司法試験に合格した二木一平弁護士。現在は都内で「二木法律事務所」を営んでいる

 甲子園春夏通算25度出場、2013年センバツ優勝を誇る高校野球の強豪・浦和学院野球部は多くのプロ野球選手を輩出していることで有名だが、司法試験合格者も1人いる。「二木法律事務所」の弁護士・二木一平さん(31)だ。白球を追い続けた高校時代から、23歳で司法試験に合格するまでの道のりを聞いた。

高梨雄平、歳内宏明とも対戦

 埼玉・春日部出身の野球少年だった二木さん。小学生から野球を始め、中学時代はボーイズリーグで硬球を握った。進路を浦和学院に絞ったのは、小3の夏に見た2000年埼玉大会決勝がきっかけだ。浦和学院・坂元弥太郎と春日部共栄・中里篤史による投手戦を制した「URAGAKU」のユニホームに憧れた。

 「ずっと野球しかしていませんでした。中学の頃も勉強は授業を受けるぐらいで、塾には行ってません。とにかく甲子園に出たかったんです。どこが一番確実かなってなると、浦和学院は3年間の内、1度は甲子園に出ていた時代。そこで頑張ればチャンスがあるんじゃないかと」

 入学後は周囲のレベルの高さに度肝を抜かれた。同期は30数人。2学年上には中日から高校生ドラフトで1巡目指名された赤坂和幸、1学年上には後にオリックスの育成選手となる坂本一将や、現在同校の監督を務める森大らがいた。

 「練習は厳しいと思って入っているんで、そんなもんだろうとは思ってました。一番キツかったのは朝の6時半から、10キロ近く走るんですよ。グラウンドのホームベースに集合して、全員で走るんです。コーチにタイムを測っていただいて。朝、本当に寝ぼけながらスタートして、だんだん2周目ぐらいで目が覚めてきて(笑)」

 「その後は腕立て伏せ。私は体が重い方だったので、走るのも苦手だし、自重で体を支えるのも、結構大変だったんです」

 チーム内の競争は激烈だった。右打ちの外野手である二木さんにとって、ベンチ入りへの道のりは遠かった。

 「左投手に対しての代打要員ですね。最上級生の時は2軍で試合に出て、たまに1軍へ呼ばれたこともありました。ベンチ入りできたのは2年秋の市内大会。背番号17だったと思うんですけど、それだけです。相手先発が左と予想してスタメンだったんですが、メンバー交換したら右ピッチャーで。お情けで1打席打たせてもらって、その後すぐ代えられました(笑)」

 「練習試合では、1学年下で川越東の高梨雄平投手と対戦したことがあります。当時は普通に上から投げていましたね。あとは2学年下の聖光学院・歳内宏明投手とか、覚えていますね」

毎日バットを振るように、勉強すればいい

 2009年、最後の夏。二木さんのメンバー入りは叶わず。そしてチームも甲子園には届かなかった。

 「本人って、メンバーに漏れるかは大体わかるんです。春の大会が終わったぐらいから、当落線上でも、何となく分かる。ベンチに入れない選手だと、多分メンバーが決まった時点で、高校野球は一旦区切りなんです。もちろん勝って欲しいし、甲子園にも出て欲しいですけど、選手としては一旦終わりになる。だからメンバーに入れなかった選手たちは、進路についてレギュラーよりも早く考えるんです」

 二木さんは野球部員のクラスにいた。しっかりと授業を聞き、準備をして定期テストに臨む生徒だった。平均評定が高かったことから、指定校推薦で独協大法学部に入学した。

 「ずっと野球しかしてなかったんで、大学入学後は暇なんですよ(笑)。だったら、今までバットを振ったり走っていた時間を勉強に使ったら、資格の1つも取れるのかなって。法学部の資格って、当時は弁護士しか知らなかったんです(笑)」

 大学1年の秋、二木さんは司法試験の予備校に入学し、一から勉強を始めた。司法試験は言わずと知れた難関であり、突破するには明晰(めいせき)な頭脳と強い精神力を要する。小・中・高と秀才であったとしても、合格までの道のりは平坦ではない。

 だが二木さんは、事も無げに言った。

 「今になって思うんですけど、そんなにつらくなかったです。僕たちは朝6時半から走って、眠い中でも練習してやってきた。正直、野球の方がつらかったですね」

 浦学で白球を追い続けた日々が“財産”となって、難関突破の原動力になったと語る。

 「好きだから、できるんですよ。野球も好きだから、ずっとやっていた。だから勉強も好きにならなきゃなって思っていました。好きなことは、毎日やるのは当たり前。司法試験の勉強も、そんな感じで前向きにやっていました。毎日走ったり、バットを振るように、勉強すればいいだけの話だって」

浦学野球部は「原点」

 19歳で勉強を始め、23歳で司法試験に合格。25歳で弁護士登録した。10代の頃、仲間と必死に厳しい練習を乗り切れた自信が、弁護士としてハードワークに臨む自身を助けてくれるという。

 今でも高校野球を愛し、母校の試合は速報をチェックする。今の二木さんにとって、浦和学院の野球部とはどんな場所だろうか。

 「原点じゃないですかね。こういう仕事なので、深夜までやらなきゃいけないこともあれば、心理的なストレスもかかりますけど、『走るよりマシだな』と思えるだけでもすごい楽です。弁護士の世界も競争ですが、高校野球のレギュラー争いの方がスタメン9人、ベンチ入り20人や18人って枠が決まっているから、そちらの方がずっと厳しいと思うんですよね」

 今年も夏の地方大会開幕が近づいてきた。3年生の中にはかつての二木さんのように、メンバー入りを逃し、涙に暮れる人もいるだろう。どんな境遇であろうと頑張り続ける若者たちに、エールを送ってくれた。

 「最後まで自分の中で続けてやりきれれば、将来何かやりたいことが出てきた時、同じようにエネルギーを向けてやればいいと思うんです。それは部活を続けた人の持つ、すごいアドバンテージになると思います。全力で頑張れば、野球以外の人生でも、必ず生きると思いますね」

(スポーツ報知ウェブ版)

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