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共栄学園初V 12年に就任の浦学OB・原田健輔監督「こんなに大逆転劇が2度も続くのかと…」

【写真】ナインの手で胴上げされる原田監督

 東東京の決勝では共栄学園が東亜学園に逆転勝ち。春夏通じて初の甲子園出場を決めた。1点を追う9回2死一、二塁、途中出場の背番号18・打野琉生(うちの・るい)外野手(3年)の意表を突くセーフティーバントが三塁手の悪送球を誘い同点とすると、重盗で勝ち越し。打者12人の猛攻で7点を挙げ、準決勝の逆転サヨナラに次ぐ劇勝を収めた。これで全49代表校が決定。夏の甲子園大会は8月3日に組み合わせ抽選会が行われ、6日に開幕する。

 涙はなかった。共栄学園・原田健輔監督(37)は参加129チームの頂点をつかんだナインを頼もしげに見つめた。「準決勝、決勝と、こんなに大逆転劇が2度も続くのかと…。本当に素晴らしい選手たちに巡り合えました」。東東京の王者に輝いたのは“エンジョイ野球”を貫く下町っ子だった。

 浦和学院では日本ハム、巨人でプレーした左腕・須永英輝氏と同期。3年時のセンバツはベンチ外で、最後の夏は背番号19の控え投手。埼玉大会準決勝で夢破れた。共栄大を卒業後は信用金庫に就職。業界をリーマンショックが襲う中、心に眠る野球熱が抑えられなくなった。大学時代の恩師に相談し、12年に系列となる共栄学園の監督に就任した。

 当時の野球部は夏未勝利。浦学で学んだ「日々の積み重ねの大切さ」をモットーに粘り強く指導した。今でも寮はなく全て地元の選手。「下町の気質というか、細かいことを植え付けるのは難しい。野球のミスは怒りません。要所は締めて、好きなようにやらせてあげようと」。だからこの日、ピンチでもみんな笑っていた。

 5月下旬の練習試合は花咲徳栄に25失点で大敗。そんな雑草軍団が大仕事を成し遂げた。この夏、高校時代にたどり着けなかった甲子園のベンチで采配を振るう。笑顔の似合う教え子たちとともに。

(スポーツ報知)

夏未勝利の弱小校率いて12年目 共栄学園・原田監督「楽しくやる」モットーに初甲子園

 勝利を決めた共栄学園・原田健輔監督(37)の目に涙はなかった。「本当に甲子園に行けるのか。まだ実感が湧かないです」。

 12年から監督に就任。当時は夏の大会で1勝もしていないチームを、12年目で史上初の甲子園出場に導いた。「楽しくやる」ことを意識し、野球でのミスは怒らないよう心がけている。「自分でも緩いと思うが、なるべく大会で力を発揮させてあげたいので、あまり厳しいことを言わないようにしています」。

 浦和学院OBで「最後の夏だけは背番号もらえました。19番で」。当時指導を受けた森士前監督(59)から「努力家で、ずっと真面目にやっていたのでベンチ入りさせた」と評される。

 高校3年間で日々の積み重ねの大切さを学んだから、今がある。一足先に甲子園を決めた母校については「素直におめでとうと思う。ただ向こうは強いんで、当たりたくはないですね」と苦笑した。

(日刊スポーツ)

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