【写真】選抜出場が決まり、選手たちに心構えを説く森監督=1月28日、浦和学院高校グラウンド(埼玉新聞)
◇指揮官の変化 一歩引き責任感生む
選抜出場校の発表を間近に控えた1月下旬、森監督はバックネット裏で選手が練習する様子を見ていた。あまりグラウンドに出ず、現場の指導を中村コーチらに委ねる。「一歩引いて選手やコーチに任せる。任せることで責任感も生まれる」と話す姿からは肩の力がうまい具合に抜けている。
27歳の青年監督として初出場で4強入りした1992年の第64回大会から数えて自身15度目の甲子園。91年8月にチームを預かってから19年が経過した。指導者として20年目を迎えた今季の意味は決して小さくない。
昨秋の県大会決勝。閉会式が終わった三塁側スタンド前で選手により胴上げされる森監督。浦和学院が秋の県大会で胴上げをするのは珍しい。
しかし、それには理由があった。森監督は「ユニホームを変えようと思っていたから。『勝ったらユニホームともども胴上げしてくれ』と選手に言っていた」と話す。
前のユニホームは上尾高時代の恩師でもある初代の野本喜一郎監督(故人)から受け継ぐ大切なもの。「恩師のデザインで変えられない部分もあるが、今回新しく”ニューウラガク”を展開していこうかと思った」。変えるということは批判も覚悟の上だったはずだ。
森監督を長く知る人たちは最近の微妙な変化を感じ取っている。20年来の交流がある北与野整形外科内科の今井理事は「昨秋に『野球が面白い、楽しい』と言っていた。森さんゾーンに入っている。3年以内に甲子園で結構上に行くと思う」。
15年前から付き合いがあるコーケンメディケアセンターの南理事長は「3回全国制覇するまでは引退するなと言っている。(2018年夏の)第100回大会までには絶対優勝」と期待する。
森士46歳。強豪の重圧は計り知れず、気持ちが切れたらそこで終わり。毎日が選手との真剣勝負だ。「枝葉の部分は変わったが、芯はぶれていない」と、瞬間に眼光を鋭くさせる。20年目は一つの区切り。しかし、それはまた新たなスタート。そのためにもこの春、手塩にかけた教え子たちを率い、2年半ぶりの甲子園で一つの結果を出す。(完)
(埼玉新聞)