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ラストプレーボール浦和学院・小島和哉(中)心に染みた仲間の存在

◇自分を見つめ直した2カ月

 浦和学院野球部には仲間の思いを裏切ったり、部の規則に違反した者にはユニホームを着させない決まりがある。ジャージーを着た選手が、フィールドの外にいる光景はしばしば見られる。

 「気の緩みもありました。結果を出してきた人間のやることではなかったです」。小島もこの時期、ユニホームを着ることができなかった。

 自身の練習で許されたのはランニングのみだった。学校周辺の駅や公園を、ごみ拾いや掃除をしながら走って回った。3日間で計72キロを走ったこともあったという。

 練習の手伝いも積極的に行った。フリー打撃ではマシンへのボール入れ、乱れ打ちではライトのファウルゾーンで、腰にタイヤを付けた状態で打球に飛び付いたりと、とにかくチームのためにできることは何でもやった。

 1年春の県大会からメンバー入りし続けてきた小島にとって、「一回バッティングをやるだけでも、これだけ準備が大変なんだなと、あらためて感じました」。サポートしてくれる仲間たちの気持ちが身に染みた。

 主将という立場に置き換えても、自身が先頭に立って引っ張ることは当たり前だが、「『俺が俺が』と自分ありきで思ったことだけ言うのではなく、相手のことを理解するからこそ、自分のことも分かってもらえる」。野球の試合で言えば、バックを信頼して打たせて取るという部分にも通じると気付いた。「秋は、打たせてはいけないと思ってましたから」と正直に打ち明ける。

 3年生にも背中を押された。前主将の山根に「どうやったらまとまるんですかね」と相談したことがあったという。

 山根は「おまえが経験しているからこそ、どうにかしなきゃいけないと思うことも、おまえの責任として必要なのかもしれない。でも今年のチームは今年のチームで、いいところはあるだろ。そこを伸ばしていけばいい」と、親身になってアドバイスをくれたという。小島は「温故知新って、感じですよね」。少しだけ肩の荷が下りた気がした。

 一日一日の積み重ねで周囲の信頼を回復していき、今年2月20日。仲間に「もう一度チャンスをください」と頭を下げ、再びユニホームに袖を通すことができた。長くつらかった冬の2カ月。と同時に、あらゆる面において、自らを見つめ直すことのできた、掛け替えのない2カ月となった。

 そして3月21日。1年前に歓喜を味わった甲子園で副主将の木村とともに、堂々と胸を張って選抜優勝旗を返還した。「夏はみんなと、絶対ここに帰ってくる」。そう心に固く誓って。

(埼玉新聞)

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